パウロは牢獄につながれていました。しかし、パウロの心を支配していた感情は、諦めでもなければ、開き直りでもなく、ましてや、責任転嫁でもありません。そうでなければ、「死ぬことは利益だ」(21節)「この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい」(23節)と言いながら、同時に「だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です」(24節)とは言えないでしょう。もし諦めているならば、さっさとこの世を去りたいとだけ願うでしょう。開き直っているならば、自分のことなど放っておいてくれと言ったかもしれません。誰かに責任転嫁しているならば、手紙も自ずから愚痴愚痴した口調になっていたことでしょう。 パウロは、自分があらゆる信徒たちの模範となっていることを知っていました。キリスト者としてどのように生きるべきか、パウロの姿を見て力づけられる人がいることを知っていました。ですから、彼は自分自身がどのような環境にいようとも、どれほど苦しくても、その全てを神のために、キリストのために用いることができました。自分が特別なのではありません。自分自身に起こったことは、いずれ全ての信徒たちにも起こりうることだとパウロは知っていました。選ばれた誰かだけが苦しみ、残りの者は安穏と暮らすことができるなど想像もしていません。神と共に生きようとする限り、全ての人が通る道であることを確信していたのです。 実際、パウロの前には問題が山積していました。パウロが逮捕され、これまで押さえられてきたものが吹き出しています。よこしまな思いでキリストを伝えている人々がいることをパウロは知っていました。しかし、パウロはそのことさえも前進につながるといいます。 「口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。」(フィリピの信徒への手紙1:18) 「善意で」(15節)、「愛の動機から」(16節)、「純真さから」(17節の逆)キリストを説いている人は、「真実」にキリストを宣べ伝えています。「真実」とは直訳すると「真理」ですから、真理そのものであるキリストをそのような者としてそのまま説くことを示しています。 一方、「ねたみと争いの念にかられて」(15節)、「自分の利益を求めて」(17節)、「不純な動機から」(17節)キリストを伝えている人々は、「口実」でキリストを宣べ伝えています。このような人々は、キリストを説いているように見せかけて、実は自分自身を説いているのであり、自己宣伝をしているに過ぎないのです。 「だが、それがなんであろう」(フィリピの信徒への手紙1:18) パウロは、人の「善意でする」ことも「ねたみと争いの念にかられてする」ことも、「キリスト」の前では何でも無いことを示唆します。人々のどのような思いによってであっても、ともかく「キリスト」が伝えられているので、そのこと自体を喜んでいるし、今後もそのような寛容な心を抱き続ける決意でいるのです。 それは、かつてイエスの弟子の一人ヨハネが問うた際、イエスが答えた趣旨に合致します。 「そこで、ヨハネが言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。』イエスは言われた。『やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。』」(ルカによる福音書9:49~50) パウロはたとえどのような状況であろうと、そこで告げ知らされているのがキリストであれば何でもかまわないと言います。話しているのが、真実からキリストを信じている者であろうと、キリストの権威を笠に着ている口実だけの者であろうと、何でもかまわない、と。そこにおいてキリストが告げ知らされ、それを聞いて信じ、救われる人が生まれ、まさに福音が前進しているという現実があります。ですからパウロはその状況を喜ぶことができるのです。 そればかりか、パウロは今、喜んでいるというだけではなく、「これからも喜びます」(18節)と続けています。パウロの未来はどうなるかわかりません。獄中にあるパウロの未来は暗いとさえ言えましょう。殉教の死さえ覚悟していたことでしょう。 しかし、未来にどのようなことがあろうとも、喜びは失われない、いや、いつまでも喜びは継続するとパウロは言います。私たちもこのパウロの喜びのうちにいます。ですから、私たちもまた「口実であれ、真実であれ」、キリストを告げ知らせたい、と願います。真実のキリストを知るまで宣べ伝えることができないとすれば、私たちは一生、キリストを告げ知らせることはできないでしょう。だからこそ、目の前の全てを用いてキリストを伝えましょう。様々な手段を用いて告げ知らされているキリストの姿をパウロと共に喜びましょう。そこには私たちの思いもよらない方法で救いに導かれている多くの人がいます。その一人一人との出会いを期待しながら、私たち自身の歩みを進めて参りましょう。
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