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「あなたがたが耳にした時実現した」2015年1月25日礼拝説教  北村 裕樹牧師


 主の命令は限りなくまっすぐである(詩篇111:8)と詩人は歌いました。そのまっすぐさを素直に聞くことができる人には何でもない言葉が、 それを実感できない人には難しいことがあります。主の命令の正しさをそのまま受け止めることができないのです。 たとえば、モーセに従ったイスラエルのように、預言者エリヤを、エリシャを目の前にした群衆のように、その言葉が真実であるならば証拠を出せ、 と求めてしまうのが人間という存在なのでしょう。自分の納得できる答えだけをいつも探し求めています。
 イエスは「わたしが来たのは皆を救うためだ」(ルカ4:18-19)と語られています。まっすぐな答えが目の前に示されているにもかかわらず、 人々はその真実を受け止めることができません。 自分が求めているものが目の前に与えられていない、という理由だけで、人々は救いの真実から目を背けてしまうのです。
 では、イエスの目の前にいる人たちはどのような人たちでしょうか。彼らは恵みを実感し、神に感謝を捧げる毎日を送っていたでしょうか。 その答えは否です。彼らは日々不満を抱えて生きています。 何とかしてその状況から抜け出したいと焦りを覚えています。だからこそ、「今すぐ救いを」をと詰め寄ったのでしょう(ルカ4:28)
 その思いでいるならば、イエスが言われた大切な言葉、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)を聞き逃すことになります。
 日常生活において、本を読んでいる時、私たちは自分でも気づかないうちに「自分が読みたい言葉」を探して読んでいます。他の人の話を聞く時、 やはり気づかないうちに「自分が聞きたい言葉」を探して聞いています。また、誰かがアドバイスを求めてきた時、自分が用意した答えを言うことに一所懸命になって、 相手が何を言っているのか聞いていないこともあります。
 それと同じことを、聖書の言葉、神の言葉に関してもしてしまっていないでしょうか。一つ一つの言葉と向き合おうとせず、自分にとって都合の良い言葉だけ読んでいないでしょうか。
 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にした時、実現した」(ルカ4:21)
 この言葉を聞いた瞬間、人々は喜びました。「自分の思った通りの救いが、今すぐ目の前に示される」と思ったからです。そして、「次」にイエスの口から発せられる言葉が、 自分の期待通りのものであることだけを考えてしまいました。そちらに心を奪われてしまった。そして、イエスの口から出る言葉を「ただ聞く」「まず聞く」ことを忘れてしまったのです。
 私たちに求められているのは、「まず聞く」ということです。相手が語ることにじっと耳を傾ける時、予想もしなかった言葉が響いてきます。イエスが聖書を読み上げようとされたとき、 その時必要なイザヤの言葉がその目に留まったように(ルカ4:17)。
 パウロはコリントの信徒への手紙一で、次のように語っています。「あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において豊かにされている」(Iコリント1:5)と。 これは、「すでにあなたたちはその知識を得ているから豊かだ」と言いたいのではありません。「いつもキリストに結ばれ、主の語られるあらゆる言葉に耳を傾け、 その言葉からあふれ出すあらゆる知識をもって生きる時、あなたたちは豊かに生きることができる」と言っているのです。主の救いの業は、ある時点をもって完結するものではありません。 主に結ばれた一人一人が、主に結ばれてその人生を生きる時、その人生のあらゆる部分で実現していくのです。
 今、タイで過ごしてみて気づいたことがあります。それは、「ちゃんと聞かないとわからない」ということです。単語の一つ一つのニュアンスが違うだけで、全然違った意味の言葉になってしまう。 相手の言いたいことをきちんと受け止めることができていませんでした。当たり前のように思えるかも知れませんが、その状況に置かれるまで本当の意味で気づいていませんでした。
 そのことは外国語に限ったものではありません。私たちの日常の会話も同じです。同じ日本語を理解する者だからと、ついないがしろにしてしまっていることはないでしょうか。 聞き流していることはないでしょうか。そして、聖書の言葉、神の言葉も日本語で紹介されているが故に、やはり同じようにしてしまいがちです。
 今改めて、語られる言葉の前に、じっと耳を傾けて聞いてみましょう。これまで聞いてきたことや、これまでの人生で経験してきたことをちょっと脇に置いて、 ただただひたすらに神の言葉に向き合いましょう。その時、すでに真実であるその言葉が実現していきます。私たちの人生において、そして、私たちの交わりの中で実現していきます。 私たちは神に呼び集められた一人として、そのような交わりの中で生きるようにと呼びかけられているのです。


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