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「その道の初めに」箴言8:1、22-31 2016年10月23日礼拝説教  北村 裕樹牧師

 「待つ」。キリスト教にとっては最も大事なキーワードです。ワクワクしながら待つことが、私たちの一番良い生き方。では、私たちは何を待っているのか。イエス・キリストの再臨を待っている。その意味で、讃美歌21の226番は「創造主日」にふさわしい歌詞と言えます。神がこの世界を造られた初めから、その終わりの時まで、私たちが待ち望んで止まない主イエスの再臨の時まで、ずっと働いておられる神の事を讃えたくて仕方がないという賛美歌です。
 「創造主日」とは、私たちが一体何のために生きているのか、何を待って生きているのか、そして、何を心待ちにしているのかを新たにする日です。旧約聖書に聞くという事は、その約束がつい昨日始まった訳ではなく、歴史を通してずっと続いている事、その約束を信じ続けてきた先輩たちが沢山いた事を思い起こすため。神がこの聖書の歴史を通して、ずっと約束を果たし続けてきて下さっている方だからこそ、私たちはその新しい約束を信じることができる、と自分を奮い立たせるのです。
 「永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。わたしは生み出されていた 深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。」(箴言8:23-24)
 この箇所は、「知恵の先在」と言われます。知恵は元々神のもとにいて、そして私たちと共にずっといたという事を教えてくれる箇所です。私たちは自分の知識だけでは神の創造物語を受け止めきれません。その私たちと神の創造物語との橋渡しをしてくれるのが知恵です。私たちと関係ない話ではなく、正にあなたたちの物語なのだという事を噛んで含めるように、伝えてくれたり、教えてくれたりする存在が知恵です。
 「わたしを見いだす者は命を見いだし 主に喜び迎えていただくことができる」(箴言8:35)  私たちは聖書の箇所を自分勝手に読んで、自分の物語と関係ないところに追いやろうとします。その中にあって、その橋渡しをしてくれる知恵を見いだした者こそが命を得るのです。伝えたい事をずっと伝えている存在を見いだした時に、私たちの命は、もっと輝いていくという事でしょう。
 この知恵こそが神とのあるべき関係に修復していってくれる、回復していってくれる存在です。それが私たちの文脈に、私たちの物語に介入してきたのか。それこそ、二千年前の、あのクリスマスの出来事です。あのイエス・キリストの出来事こそが、この知恵が私たちと神との関係を橋渡ししてくれる新たな一歩になったのです。では、知恵が私たちに伝えている事は何でしょう。ここで創世記を改めて思い起こします。神は六日に亘ってこの世界を造られました。順に色々なものを造られて、そして、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1:31)。箴言のこの箇所には出てきませんが、やはりこの箇所を思い起こします。そう、「極めて良かった」というこの世界を私たちに伝えてくれているのが、知恵なのです。。
 私たちの周囲は、見れば見るほど良くないものが目に付きます。だからそこから離脱しよう、脱却しようという宗教が存在してきた事も確かです。しかし、この二千年間、私たちの信じるキリスト教はこの世界を捨てて来ませんでした。それはなぜか。神がこの世界の最初を造られた時から、それは良いものだったからです。この天地創造の物語こそが、私たちが立ち返るところ、私たちの信仰の土台になっているところなのだと改めて思います。そして、この「見よ、極めて良かった」と言われた神の心を、改めて受取り直すのです。自分の力だけでは受け止められないとするならば、「知恵」の助けを借りて、受け取り直す。「元々良いもので、今も良いものであり続けているんだよ」と知恵が噛んで含んで教えてくれているようです。だから、私たちはこの世界をもう一度良いものとして見せていく。まずは私たちからその世界を始めていくという事をこの天地創造の物語と共に、そしてイエスが来られるという約束の時までやり続けていく事を再確認しましょう。
 パウロは、「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピの信徒への手紙3:13-14)と語ります。それぞれが、今いるところから、その栄光のゴールに向かって走っている、と。天地創造の時から、イエスが再び来られる時まで、私たちはその栄光のゴールに向かって走っている途中なのだという事を改めて思い起こしましょう。この世の現実が、どれだけ悲惨で、どれだけ救いがないように思われても、また希望がないように思えても、この世界を造られた初めに「見よ、全ては良かった」と言われた神。その世界を造られた、存在そのものが良い方である神。また、その神によって造られ、この世の初めから、永遠の昔から、その道の初めから良いものとして、私たちに与えられていた知恵。私たちに与えられたイエス・キリストと共に、私たちは再び来られるその時を待ち望むのです。その再び来られる時は、初めが良いものであって、今が良いものであるならば、当然良いもの、もっと良いものが来る筈です。その良いものを、私たちは心待ちにしながら、この最初と最後の間に、ずっと生き続けていくのです。その私たちは、私たちの力だけでここに立っているのではありません。その道の初めから、私たちが生まれるずっと前から、私たちの事を支え、護り導いて下さっている知恵が、今も尚、私たちと共にあって、その終わりの時まで導き続けて下さっているという事、支え続けて下さっている事、護り続けて下さっているという原点を見つめ直して、土台を見つめた上で未来を目指して、顔を上げてしっかりと歩んで参りましょう。


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