メッセージ


「人一人は大切である」 井上創牧師

 今日の聖書箇所には、体の話が出てきます。体は多くの部分から成り立っています。目、鼻、口、手、足、内臓や骨、血管の一つ一つにまで名前が付けられています。 手は手としての役割を持ち、足は足としての役割があります。手話などによって、目が耳の代わりをすることはあっても、目は耳そのものにはなれません。 目は目、耳は耳として大切な部分です。 このコリントの信徒への手紙で言われている「体」とは、言うまでもなく「教会」のことです。神様は、私たち一人一人を招いて、教会を、つまりキリストの体を作り上げてくださっています。 そして、そのそれぞれの部分である私たちは、互いを要らないなどという事はできないし、その代りを担うこともできない、かけがえのない一人一人なのです。 しかし、そのことを実感するのは少し難しい事です。 自分が目であるうちは、なかなか手の気持ちはわからないし、足が今どうしてほしいのかなんてわかりません。 神様はそういう私たちのために、「痛み」を用意してくださいました。 虫歯が痛いとき、花粉で鼻水が止まらない時、水虫が痒いとき、私たちは他のことが何もできないくらいに、そのことに気持ちを奪われてしまいます。 私たちは、この痛みやかゆみを通して、自分の健康というものがいかに微妙なバランスの上に保たれているのかという事を知り、 この体の本当に小さな一部が調子を崩しただけで、 体全体が影響を受ける事、もうその一部というものが、それはそれは大切なものであるという事を知るのです。
 まず私たちは、痛みを共有するという事から始めてみてもいいかもしれません。その痛みを通して、私たちは互いを思い合い、祈り合うことができるのではないでしょうか。 一人の人の痛みを、今抱えている課題を、教会全体の痛み、課題としてとらえることができるかどうか。あるいは、これは痛みではなく、喜びであってもいいでしょう。 誰かに喜ばしいことがあったらならば、それを個人的に喜ぶのではなく、教会全体のこととして喜ぶ。そういうことを繰り返して、体は一つの体として、 自分を意識していくようになるのではないでしょうか。
 今日の説教題は、新島襄の言葉です。私たちの教会は、同志社教会、会衆派、組合派と呼ばれる流れの中から生まれました。同志社を建て、 アメリカから会衆派と呼ばれる新しいキリスト教の流れを日本に持ち込んだのが新島でした。 この同支社組合教会の大きな特徴は、「規則を持たない」という所にあります。 同じくプロテスタントの長老派と呼ばれる人たちは、使徒信条やニケア信条なども信条、規則を中心にしてまとまろうとします。 また、カトリック教会は教皇庁を頂点とした教会組織が中心であり、 そこから発せられる教えや決まりごとは絶対的な力を持ちます。しかし、我々はいかなる規則も持ちません。 それは、ルールという人間を外側から縛る方法ではなくて、 愛という内側からの滲み出るもので、己を律するからです。互いを思い合うキリストの愛によって、 規則などなくても私たちは一つになれるのだ。 と新島は信じ、同志社教会はそれを現代まで受け継いで来たのです。
 この根底には、私たち一人一人が、神さまから大切なものを受けながら生きているのだ、という信仰があります。今私がこうして、皆さんに語りかけているのは、 神さまが私に命を与え、毎日の食事や必要なものを与え、祈りと聖書研究の時間を与え、今朝もこうして皆さんの前に立つ機会を与えてくださっているからです。 そして、語るべき言葉を与えてくださっている。みなさんが、今ここに座り、話を聞いているのも、いろいろなものを神様から与えれているからではありませんか。 そういう風に、一人一人にその時々に合わせて必要なものを神様から備えてくださっている。そう信じるからこそ、何が大事なことを決めなければならないような時でも、 ルールや規則など必要とせず、 その時々に心の中に届けられる神さまの愛を、そのまま口にすればいい。行動に表せばいい。それが私たちの教会が大切にしてきたことです。
 新島の「一人一人は大切である」という言葉には、そういう思いが込められています。神さまが、決して欠けてはいけない体の一部としてあなたをこの教会に置いたのです。 必要だから、今日招いたのです。今ここで教会の何かを決めなければならないとして、あなたがいなければ、あなたの口を通して語られる言葉がなければ、神さまの思いは実現しないのです。 それほどに大切な一人一人なのです。そういう意味では、賜物を持っていない人などいないのです。あなたがここにいて、何かを話すなら、それは神さまがあなたに持たせてくれたもの、 ここで今日話すようにと持たせてくれたギフト、賜物なのです。私たち一人一人が、教会の中でだけでなく、行く先々で神さまの賜物を生かすことができますように。 「神さま、今私に働いてください。必要な言葉と行いをください」と祈りながら日々を過ごしていくことができますように。


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