「虹」創世記9章8-17節  2018年11月4日礼拝説教  北村 裕樹牧師

 虹には訴求力があります。誰かが「虹が出ている」と言うと、思わずそちらを見てしまいます。また、虹を見つけると、誰かにそのことを教えたくなります。虹は私たちにとって、何か特別な意味を持っているように思えます。聖書の時代の人々も同じように虹を見上げていました。
 虹は昔から、天と地を結ぶシンボルとして見られてきました。聖書だけでなく、多くの宗教や文化の中でも、虹は私たちの世界と別の世界とを結びつけるものとしてとらえられています。「虹の架け橋」という言葉は、それを象徴しています。また、バビロニア神話やユダヤの黙示思想では、虹は神の怒りや裁きの象徴としても見られていました。虹の形は弓のように見えます。そして、虹が出る時、神は怒りの弓矢を放たれると考えられていました。事実、「虹」を表すヘブライ語「ケシェト」は、もともとは「弓」を意味する語なのだそうです。
 ではもし、ノアの物語を聞いた人が、虹は神の裁きの象徴であると信じていたならば。この物語は、大変厳しいものに聞こえたことでしょう。虹は契約のしるしです。もしこの契約を破ったならば、あなたは契約違反なのだから、滅ぼされても仕方ありませんとの脅しの言葉に聞こえたはずです。いつも喉元に切っ先を突きつけられているかのよう。そこには安心も憩いもありません。
 しかし、神の言葉は、虹は裁きではないと語ります。
 「神はノアと彼の息子たちに言われた。『わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。(中略)わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。』」(創世記9:7~11)
 神は人と契約を立て、洪水によって滅ぼすことはもはやないと約束されました。神と人間との関係は、これまでのような関係ではなくなる。また、地上に生きる全てのものの関係も、これまでとは異なる、と。
 そして、「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。」(創世記9:13)
 虹は「滅ぼさない」という契約のしるしです。これは、虹の全く新しい解釈と意味となりました。ノアたちに示された空の虹は、神からの休戦、和平のしるしです。虹は怒りのシンボルから、平和のシンボルへと変わりました。この虹によって、この地上に生きるもの全ては、互いに支え合い、助け合う存在になりました。
 けれども、今日に至るまで、すでに何千種という生物が、滅亡しているという事実があります。神は、もはや滅ぼさないと約束されたにもかかわらず、人間の営みが、他の生物を脅かし、滅びを招いています。辺野古新基地建設は再び始まってしまいました。あの美しい海が埋め立てられるかと思うと、人間の罪の大きさを痛感します。また、直接に他の生物を脅かす戦いだけではありません。「戦争は最大の環境破壊」という言い方もあるように、人間たちの戦いは、全ての生き物に対しての戦い、敵対行為でもあります。
 そのような時代の中にあって、神と人間とを結びつけるのはいったい何なのでしょうか。また、この世界により良き世界をもたらすもの、人間の内に神の御心を実現させるのはいったい何なのでしょうか。
 時に、神の力強さに私たちは憧れを抱きます。ノアの洪水には、全てを押し流し、全てを是正してくれるような圧倒的な力への、人間の憧れが表現されています。
 しかし、神が私たちに示されたのは、力や怒りの象徴としての虹ではなく、赦しと愛の象徴としての虹でした。そして、この虹の本質は、イエス・キリストという肉体、十字架と復活という具体的な出来事において、より明確に示されました。イエスは今、生きている私たちのためだけに十字架にかかられたのではありません。また、復活されたのでもありません。地上に生きる全てのものだけでなく、すでに天に召されたものたちとの関係も、赦しと愛の関係へと招き入れられています。
 先日、『教誨師』という映画を見ました。確定死刑囚たちと一対一で向き合う牧師が主人公です。彼らの対話の中から浮かび上がってくるのは、「生きる」ということでした。確実に命の終わりが見えている死刑囚にとって、教誨師と話す時間は、命を実感する時でもあるのでしょう。のんべんだらりと生きている私たち以上に、命の限界を見据えているように思えました。
 私たちの命には限りがあります。その命の限界を思うとき、私たちは改めて、私たちを創造し、命の息を吹き入れられた神を思います。その命をどのように用いるのか。その命が神によってどのように用いられていくのか。その終わりの時までどのような道を歩んでいくのか。そう問われています。
 「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」(創世記9:16)
 神は、虹を見るたびに契約に心を留められます。翻って、私たちはどうでしょう。自分のわがままばかりを神に押しつけてはいないでしょうか。虹を見るたびに、神と約束したことを思い返しているでしょうか。神と共に歩む自分を再発見しているでしょうか。今、ここに与えられている人生を生ききっているでしょうか。改めて我が身を振り返りたいと思います。