「勇気を出しなさい」ヨハネ16章25-33節  2020年5月17日礼拝説教  北村 裕樹牧師

 顔の見えない相手を励ますことは本当に難しい。新型コロナウイルス禍が拡大し、先の見えないこの時にあって、なんと言葉をかけて良いのだろうかと悩みます。しかも、励ましの言葉を語る時、聞く時、それぞれの置かれた状況、立場で受け取られ方、受け取り方が変わります。10人いて10人に響く、10人を納得させる言葉などあるのでしょうか。たくさん話す中で、ある者にはある言葉が、別のある者には別のある言葉が響くのではないでしょうか。
 私たちはイエス・キリストを信じていますが、それによって苦しみや悲しみのない天国に一挙に移されるのではありません。イエスの弟子たちは、そして私たちはなおこの世に生きています。多くの悩み、苦しみの中にあって苦闘するでしょう。「苦難」とはただ肉体的なものだけではありません。外からの迫害だけでもありません。精神的な痛み、内側からの痛みをも内包しています。そして、残念ながら、この世は未だ天国ではありません。神の国はその完成へと向かって進んではいますが、未だその時には至っていません。
 そのような中にある一人一人に向かってイエスは語りかけられます。
 「しかし、勇気を出しなさい。」(ヨハネによる福音書16:33)
 この同じ言葉が、他の福音書では「安心しなさい」と訳されています。安心と勇気とは同じ言葉なのです。安心することで勇気を得るのか、それとも、勇気を出すことで安心を得るのか。いずれにせよ、苦難がある中で、恐れるだろう、落ち着いてなどいられないだろう、「けれども、安心しなさい、勇気を出しなさい」と語りかけられるのです。
 新型コロナウイルス禍は未だ終息が見えません。しかし、この悩みの多い世にあっても、私たちは主イエスを知っています。イエスは私たちのために苦しまれ、十字架につけられ、死なれました。そのイエスが、復活を通して、神の愛を教えてくださいました。そして、復活のイエスが今もなお生きて、世に勝った主として私たちと共に歩んでくださることを知っています。私たちの苦しみは、無くなってしまうことはありません。しかし、その苦しみは軽くされ、意味のある苦しみとなり、希望のある苦しみとなっていくはずです。そこから生きる喜びが与えられ、希望が生まれます。今日を、希望をもって生きる勇気が与えられるのです。
 「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネによる福音書16:33)

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