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「大胆に恐れずに」使徒言行録9章26‐31節1  2017年8月13日礼拝説教  北村 裕樹牧師

  パウロにとって、エルサレムへ向かうということ自体が危険なことでした。そこには、彼に裏切られた仲間がいます。彼の背きを憤っているユダヤ人の組織もありました。しかし、パウロはあえてエルサレムへと向かいます。彼の決心は、危険なところに敢えて飛び込みたいという己の慢心から来るのではありません。ヒロイックな思いに酔っているのでもありません。彼はただ、神の思いに従って、自らの原点であるエルサレムに行くことにしたのです。
 彼は何よりもまず、エルサレムで伝道することを願いました。どこか遠くではなく、ここから始めなければ何の意味も無い、そう考えていたのかもしれません。そして、そのためにも、「弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた」(使徒言行録9:26)。
 この時、パウロの回心からすでに3年を経過していました。にもかかわらず、パウロの前にはまだ弟子たちの恐怖がありました。自分たちの立場が奪われてしまうかもしれないという弟子たちの不幸な邪推もありました。それらが弟子たちをしてパウロを警戒させていたのです。ここで責めるべきは、パウロを受け入れなかった弟子たちではありません。彼らはたしかに狭量であったかもしれません。しかしそれは、それまでのパウロの迫害がいかにすさまじかったかを物語っています。自らが蒔いた種でした。完全な逆風、厳しい状況に向かって、パウロは新しい一歩を踏み出すのです。
 神によって派遣されるのは、パウロや使徒たちに限ったことではないでしょう。誰にとっても使命を与えられ、遣わされる時があります。その事実を十分に自覚していたとしても、その道はやはり困難な道に違いありません。「できそうだ」とも思うし、「できている」とうぬぼれることもありました。しかし、やはり簡単なことではありません。きらびやかでも、派手でもない。それでも、迫りを受けて、その道に遣わされるのです。
 私たちは、日常生活の中で、隣人を愛するという教えを実践するべく生きています。しかし、その実践はなかなか難しいと実感します。パウロは、具体的な状況において隣人を愛することについて真剣に考えていました。神への偽りの愛の中に逃避することがありませんでした。偽りの愛とは、神のみを見上げているようで、他の何者をも顧みないまなざしのことです。結果、そのまなざしは自分だけを見つめることとなり、偽りの神を見ることにもつながります。神を愛するとは、恐れを棄てて、隣人の日常生活の中に入っていくことです。そのことがどのような危険をもたらそうとも、恐れずに入っていくことなのです。
 回心」「悔い改め」と訳されるギリシャ語「メタノイア」は、元来、「視点の転換」を意味しています。「新しい視点から自分を振り返り、社会を見直す」(本田哲郎『小さくされた者のための福音』)ことです。それは、神と私たちとの関係の問題であるように思えますが、実はそこにはいつも人々との関係があります。神との関係において自分を律するばかりでなく、他者との関係の中で自分が変えられていきます。自分さえ良ければという自己中心の考えから、人々と共に生きるという考えへと向かうのです。
 私たちはそのような神の道へと招かれています。やる気に溢れる瞬間もあるでしょう。また、「もうできません。もう力はありません」とうなだれる時もあるでしょう。その時もなお、私を支えるものは何でしょうか。自分の自信でしょうか、それとも、歩みの確かさでしょうか。
 そのいずれでもありません。
 「イエスの名によって大胆に宣教した」(使徒言行録9:27)
 「主の名によって恐れずに教えるようになった」(使徒言行録9:28)
 27節で「大胆に宣教する」と訳された動詞は、28節で「恐れずに教える」と訳された動詞と同じ語です。もともとは「恐れることなく、自由で開かれた心をもって行動する」という意味です。しかも、「イエスの名によって」「主の名によって」とあるように、パウロの大胆で恐れのない態度は、イエスの名が作り出していることになります。イエスこそ、弟子たちの働きを支え、導く原動力なのです。
 「しかし主よ、わたしの主よ/わたしは力を奮い起こして進みいで/ひたすら恵みの御業を唱えましょう」(詩編71:16)
 詩人は、語っても語っても語り尽くせない神の恵みの御業の前に、「しかし主よ」と繰り返します。その道、恵みの御業を語る道のなお辛いことを言おうとするのでしょう。しかし、単にその辛さにとどまるのではなく、やはり派遣されることを喜んでいます。それは自分自身を誇ることではなく、彼をそのように突き動かすその力をこそ、宣べ伝えるのだからです。
 改めて、自分の前に開かれている神の道を見つめましょう。そこには必ず神の支えがあります。神の助けがあります。大胆に、恐れずに一歩を踏み出しましょう。


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