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「星のように輝く」フィリピ人への手紙2章12‐18節  2017年6月25日礼拝説教  北村 裕樹牧師

  パウロは、フィリピの人々への手紙を通して、信仰のあり方、信仰者の生き方について語ります。時に厳しく、時に優しく。素直に受け入れられる時もあれば、反発され受け入れられない時もあるでしょう。それでもなお、パウロは力強く語り続けるのです。
 「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。」(フィリピの信徒への手紙2:12)
 「パウロが言う「恐れ」とは、単純な恐怖のことではありません。救いを獲得することが困難だから、結果に恐怖を抱けということでもありません。神の働きには人間の思いが及ばないことを知れ、ということでしょう。たとえ人間が人知を尽くしたとしても、それは全て神が人間の内に働いてくださることの結果だと知れ、と。だからこそ、その神の働きの結果を受け止める意識を強く持とうというお勧めです。神の絶対的な支配に自らを委ねていく、そのような信仰のあり方を示しています。
 加えて、パウロは、フィリピの人々に従順を求めています。
 「いつも従順であったように、……今はなおさら従順でいて」(フィリピの信徒への手紙2:12)
 「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。」(フィリピの信徒への手紙2:14)
 これはもちろん、パウロ自身への従順ではありません。神への従順であり、キリストへの従順です。しかもそれは、漠然とした曖昧な姿勢ではありません。何となく、ではなく、積極的に従っていくことです。ドイツの神学者、ボンヘッファーの言葉を借りるならば「服従」ということになるでしょう。それは、キリストに行動をもって従っていくことです。
 「服従とはキリストに固着することである。……服従するとは、決然たる歩みを始めることを言う。招きに応じて踏み出される第一歩が既に、服従する者をその過去の存在から分かつ」(ボンヘッファー『キリストに従う』35-39ページ)。
 信仰とは単に「委ねていく」というだけではないでしょう。「全ては神の御心のままに」と自由意志を否定するものでもありません。人間は神の思いが達成されるように、具体的な行為へと促されているのです。
 かつて、イスラエルの民は神に対して不平を漏らしました。「不平」とは単なる不満ではなく、神を神としないこと、神の思いに聞き従わないことを指す言葉です。また、教会の歴史を見ても、人間の理屈による神の非難が起こりました。これもまた、神を神としない行いの表れです。しかし、信仰とはそのようなものではないことはすでに明らかでしょう。単に心で信じるばかりでなく、神に対する従順によって、神への証しを立てていくこと。自らの背中で神の愛を証しして行くこと。そのような具体的な働きが求められているのです。
 「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」(フィリピの信徒への手紙2:15-16)
 フィリピの人々が神に従う時、彼らは信仰者としてそこに留まっている、とパウロは言います。しかし、それには大きな困難が伴うこともまた、パウロは知っているのです。それでもなお、彼らが神に従って歩もう、神と共に生きようとする時、彼ら自身が神によって世の光とされる、とパウロは続けます。もちろん、光り輝くのは自らの力ではありません。私たちの内に働く神の力が、私たちを星のように輝かせるのだ、と。
 59年前、吉祥寺の地で始まった私たち武蔵野扶桑教会の歩みは、先達たちの不断の努力と働きによって今日まで来ました。そこには神の守りと働きかけがありました。
 「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」(フィリピの信徒への手紙2:13)
 「内に」と聞くと、「個々人の内面に」という印象を持ちます。確かにその意味で捉えても問題はないでしょう。しかし、この言葉の元々の意味は「その者たちの間で、その者たちに何かが生起する」という意味です。だから、こう考えたいのです。それぞれ個々人の内面に神が働かれるばかりでなく、「あなたがた」という群れの内側で神が働かれる、と。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイによる福音書18:20)とのイエスの言葉がそこで実現されている、と。
 隠れていたい、目立ちたくない、と思う時にこそ、私たちは「世にあって星のように輝き」という言葉を聞きたいと思います。私たちが神の言葉を聞き、神の言葉に従いつつ歩む時、私たちの自覚がどうであれ、私たち自身は輝いています。輝かされています。そしてそれは、教会に集う一人一人が内面から輝くばかりでなく、その群れそのものが輝いているということでもあります。59年間、輝き続けてきた私たちの群れ。その光は今もこの地を照らしています。新しい仲間を増し加えられ、その輝きはますます増し加えられているでしょう。私たちはその光をさらに次の世代へと受け継いでいきたいと願います。まずは60周年に向けて。そして、そのさらに先に向けて共に歩んで参りましょう。


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