アブラムは75歳であった 創世記12章1-9節  2019年11月10日礼拝説教  北村 裕樹牧師

 「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように』」(創世記12:1~2)
 これは、後にアブラハムと呼ばれるアブラムに神が語りかけられた言葉です。アブラムはこの言葉を聞きました。しかし、この言葉は不思議です。「生まれ故郷を離れる」「父の家を離れる」そして、「わたしが示す地に行きなさない」と続きます。前の二つは具体的な命令ですが、後の命令は抽象的です。「わたしが示す地」とはどこでしょう。いつそこに到着するのか。その時、アブラムはどうなっているのか。さっぱりわかりません。
 しかし、彼はこの呼びかけに答え、神の選びの民、約束の民となりました。「神の選び」は、私たちの目にはさっぱりわかりません。けれども、神はその働きのために人を選ばれます。その選びは、一人ひとりの祈りや願いと結びつき、信仰へと導かれます。神によって選びだされ、その選びを信じたアブラムの道とは、確かに不安しか無いような道でしたが、それは災いの計画ではありません。神による救いの計画であり、人々に平安を与える計画でした。
 しかも、彼が神からこの召しを受けたのは75歳の時です。現代においては、75歳は後期高齢者の入り口ではあります。それでも、まだまだこれから、第2、第3の人生を歩むような年齢と言えるでしょう。しかし、アブラムが生きた時代では、とうの昔に引退し、残された人生を穏やかに歩んでいるような年齢でした。そんな彼に、神は「行きなさい」と語るのです。
 神の呼びかけに答えるためには、時として自分の慣れ親しんだ世界から離れる必要に迫られます。これは、現代に置き換えて考えてみても、とても大変な出来事でしょう。年を取り、自分の身体は思い通りに動かなくなってきています。あとは、子どもや孫の住む家に世話になるか、高齢者施設に入らなければならないでしょう。そんな時に、神からの呼びかけがあったのです。そして、アブラムはその呼びかけに応えました。
 「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように」(創世記12:2)
 アブラムにおいては、民族の問題として、この祝福が語られています。そして、この約束はその民族にとっては誇りでもありました。しかし、キリストはこの約束を、民族という殻を破り、私たちにも及ぶものとして示されます。そのことは、アブラムが「父の家を離れる」というモティーフによって明らかにされます。祝福は、ある一つのグループにとどまるものではないということが、予型(=旧約聖書の出来事が、新約聖書の出来事を指し示して記述されていること)として示されているのです。
 ポイントは、「わたしの示す地に行きなさい」という言葉を、一人の信仰者としてどのように受けとめたのかということです。
 もし、教会が、またキリスト者がこの選びと祝福の約束を自分の中に閉じ込めてしまうならば、それはこの約束の動きに逆行するものとなるでしょう。自分たちだけのものにせず、「この約束はあなたのためにこそ記されているのです」と語り、神の祝福を告げ知らせることが、私たちの宣教です。
 もちろん、それは無理矢理に信じさせるためではありません。疲れている者、重荷を負っている者、悲しみの中にある者、一人一人の傍らに寄り添い、ほんの少しでも軽くなってもらうために、私たちは神の祝福の言葉を伝えるのです。
 アブラムはその使命を果たすために、父の家を離れました。その方が楽だったにもかかわらずです。イエスはふるさとのナザレを離れてエルサレムに向かいました。自らに与えられた使命を果たすために、です。パウロはエルサレムを離れて、地中海世界へと出かけて行きました。まだ神のことを知らぬ人々と出会うために、です。教会も、この祝福を携えて、外へと、「わたしが示す地」(創世記12:1)へと向かうことへと招かれています。
 そこにおいて年齢は壁ではありません。障害でもありません。「残りの人生で、今この時が常に一番若い」のです。
 「アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。」(創世記12:4)
 主イエス・キリストの降誕、そして十字架、復活、再臨は、全て神の恵みの計画の内にありました。神の祝福の内にありました。先人たちがそうであったように、今、ここに生きる私たちも祝福の内に置かれています。今日もまた、私たちは神の祝福に満たされています。そして、明日もまた祝福の中にあります。その歩みの最後の日までそれは変わることがありません。だからこそ、私たちは新しい一歩を踏み出すことができるのです。
 私たちもこれから先、どんな時でも夢を持って神の計画の内に歩んで参りましょう。 


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