三日で建て直してみせる ヨハネによる福音書2章13-25節  2020年2月2日礼拝説教  北村 裕樹牧師

  イエスの「宮きよめ」は、共観福音書(マルコによる福音書、マタイによる福音書、ルカによる福音書)では、イエスの生涯の最後の一週間での出来事とされています。一方、ヨハネによる福音書では、宣教の初めに出てきます。この食い違いの理由はよくわかりません。どちらも過越祭の時の出来事であったという点では共通しています。
 イエスは、過越祭にエルサレムに入られた時、神殿の庭で、牛や羊や鳩を売る者、両替する者が、座り込んで神殿に詣でる人たちを相手に商売をしているのを見られました。そこで売られている動物は、神殿への献げ物で、それぞれ犠牲の供物として献げるためのものです。貧富の差に応じて、人々は犠牲の献げ物を買い求めました。一方、両替とは、神殿での献金はユダヤ貨幣だけに限定されていたので、外国から来た離散(ディアスポラ)のユダヤ人や異邦人の改宗者のために、外国通貨をユダヤ貨幣と交換する商売のことです。それらは参詣人の便宜のために、長年の慣習として行われていたことでした。
 そんな当たり前の事柄に、イエスは怒りを示されたのです。周囲はあっけにとられたことでしょう。
 騒然とする中、一部のユダヤ人がイエスに詰め寄ります。
 「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」(ヨハネによる福音書2:18)
 彼らは、イエスが、何の権威、資格をもってそのことをするのか、その根拠と証拠を示せ、と迫りました。イエスは、神殿商人たちに怒られただけでなく、このような人々に対しても怒られたのではないでしょうか。だから、彼らが求める答えを出すことが簡単だったにもかかわらず、一度聞いただけではわからないような答えを返されたのです。
 「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネによる福音書2:19)
 「この謎の言葉の意味はこの時、誰もわからなかったことでしょう。弟子たちでさえ、わかりませんでした。
 「イエスの地上の振る舞いの意味は、それを見て、聞いて、すぐにわかるものでなく、後で、その時が来た時に、神がよしとされる時に、その意味が明らかにされるものです。何事によらず、早飲み込み、早とちりはいけません。やがて全てが明らかになる時を、望みつつ待つことが大切です。
 事実、弟子たちが後になって悟ったことが記されています
 「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」(ヨハネによる福音書2:22)
 「あの時、イエスは、自分の体である神殿のことを言われたのだ、と。あの時、エルサレム神殿に向かって、ユダヤ人たちを前にして、自分の十字架と復活のことを指して言われたのだ、と。しるしを求めるユダヤ人に対して、キリストの復活以上に明らかなしるしは存在しない、と言われたのだ、と。弟子たちはそのように理解しました。
 けれども、すぐに信じた人々もいました。
 「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。」(ヨハネによる福音書2:23)
  見ないで信じるという点からすれば、やはりこれは「にわか」と言うべきでしょう。だから、イエスもそのような人々を信用されません。
 「「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。」(ヨハネによる福音書2:24)
 自分にとって都合の良いものだけを信じようとする人間の本質を、イエスはよくご存じです。
 しかし、改めてこの場面を振り返ると、やはりイエスが怒りを露わにしていることに戸惑いを覚えます。イエスは優しい方なのではなかったか、と。
 表面的には同じに見えますが、柔和と柔弱、平和と屈従とは違います。愛とは決して甘やかすだけのものではありません。怒ることを忘れた愛は、甘やかされ、骨抜きにされた愛と言えるでしょう。怒ることを知る人であって初めて、真に愛することができるのです。聖書の神は、愛と選びの神であると同時に、不義に対して激しく怒る神でもあります。それは、決して気分的、感情的な私憤ではなく、愛するが故の怒り、殺すためでなく相手を真に生かすための怒りなのです。
 「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネによる福音書2:19)
  怒りは古いものを批判し、廃棄する力として働きます。でも、それだけでは否定的な力に留まるでしょう。確かにイエスは神殿を廃棄されました。しかし、今度は自分自身を、新しい神殿としての教会の建設の基礎とされました。そこにイエスの愛があります。これこそが神の愛のしるしなのです。
  翻って私たちはどうでしょう。怒ることを忘れてはいませんか。表面的な甘やかしに終わっていませんか。一人のキリスト者として、キリストに倣う者として、この世界に愛を示して参りましょう。


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